働き方ノート Vol.15 フォックス岡本聡子先生

2023.06.21

留学後カリフォルニアに移住
自分らしいセカンドパラレルキャリアを

■ 仕事編

・放射線科医になった動機、やりがい

 私は医学生の頃から、女性の健康に関わる科に漠然と興味があり、最初は産婦人科に興味がありました。5年生の病院実習で産婦人科を回っている際、妊娠期乳癌の患者さんを受け持ち、比較的若いときに罹患することも多い乳癌に関心を持つようになりました。乳癌診療を行う乳腺外科は「外科」ですので、他の外科も回らないといけません。しかし研修医の生活を通して、自分自身にあまり体力がないことに気付いた私は乳腺外科への入局を迷っていました。そんな中、仲のよい先輩がいた放射線科を回り、「椅子に座れること」、「ご飯が食べられること」、「きちんと指導してもらえること」が疲れていた当時の私にはとても魅力的に映りました。画像診断も好きでしたし、マイペースでできることが自分に合っていると感じました。放射線科の中で乳腺分野を専門としている先輩もいらっしゃり、カンファレンスで頼られている姿をみて、「乳癌診療へのこういう関わり方もあるんだ」と知り、乳腺放射線科医になることを決めました。放射線医は数年経ってから、サブスペシャリティを決める人が多いかと思いますが、私は最初から乳腺分野を専門にしようと思った結果、放射線科医になっているのが特徴的かな、と思います。

 卒後、数年して聖マリアンナ医科大学病院に籍をおきました。聖マリアンナ医科大学は日本で3番目に乳癌の手術件数の多い病院で、附属のブレスト&イメージングセンターという施設を持っています。大学病院にいる間も、分院にいる間も、出向で一般病院に出ている間も、週に1回は必ずブレスト&イメージングセンターに行かせてもらい、乳癌の画像診断を継続的に学びました。

 マンモグラフィ、超音波、CT、MRI、様々なモダリティで総合的に判断する乳癌の画像診断がとても好きでした。画像診断のみならず、マンモグラフィガイド下の針生検も担当し、様々な施設で乳癌検診の説明も行ってきました。乳腺外科医や放射線治療医、病理医とのカンファレンスにもいつも出席し、総合的な流れも学びました。

 乳腺分野の学会発表も頑張りました。当時の教授が乳腺分野で有名な方だったので、講演の仕事をよく振ってくれ、どんどん経験値が増していき、仕事面はとても充実していました。

・オンラインで活動するようになったきっかけ

 スタンフォード大学放射線科乳腺画像部門に研究留学のチャンスをいただき、2018年4月に渡米しました。留学中、臨床の見学やカンファレンスにももちろん参加するのですが、大半の時間は画像とエクセルシートの睨めっこ。人と関わる時間が激減しました。私は何かをまとめて発表するのが好きでしたが、臨床ありきの話であり、研究ばかりの生活は向いていないと気付かされました。私はきっと世紀の大発見はできないだろうし、重箱のすみを突いている感じが否めない、とも思ってきました。

 一方、プライベートでは35歳で単身留学をしており、「このままで結婚・出産できるのかな」と心配もしていました。渡米してしばらくして、遠距離恋愛をしていた彼氏と別れることになりました。36歳で振り出しに戻った私は、「もう子供はあきらめないといけないのかもしれない」と号泣。そんな中、何故か自分にベタ惚れのアメリカ人が現れ、トントン拍子に妊娠、結婚、出産となりました。

 留学期間修了の3日後が出産予定日だったので、妊娠中は産後のことをあまり深く考えていませんでしたが、異国で初めての出産、育児は想像以上に大変で、毎日を慌ただしく過ごしていました。そしてコロナのパンデミックが始まり、ロックダウンでひたすら家にいる中、とりあえず、遠隔画像診断の仕事を再開しました。在宅勤務で、なおかつ子育てと両立できることより「こんな状況になると思ってもいなかったけれど、放射線科を選んでおいて良かった」と、心の底から過去の自分に感謝しました。しかし遠隔画像診断は一方通行の仕事なので、次第に物足りなさを感じるように。家庭の事情で、そのままカリフォルニアに残ることになったので「私、これから仕事どうするんだろう」と悶々とし始めました。

 キャリアの方向性を模索する中で、今後は画像ばかり見るのではなく、もっと人と関わる仕事がしたいと思うようになりました。また世の中にはオンラインで活躍している方がたくさんいることも知り、今まで勤務医として働いた経験しかなかった私にとっては、未知なる世界でした。特にコロナ禍で、セミナーも急速にオンライン化し、「そうか!オンラインで、自分で勝手にやってみればいいんだ」と情報発信や、一般の方向けにオンラインセミナーを開始しました。今ではずっと専門にやってきた乳癌の啓発に加え、自分自身が経験した流産のピアサポート(当事者と同じ目線に立ってサポートすること)も始めました。

 そうこうするうちにグリーンカードが取得でき、アメリカでも何か乳癌関係の仕事に就けたらいいな、と思っていたところ、HOLOGICの3DマンモグラフィのAIプロジェクトの仕事に就くことができました。乳腺の画像診断のスキルが維持できるとともに、新しいことにも挑戦できることがとても嬉しいです。

留学中、教授のお宅の庭でよくご飯をご馳走になりました
臨月の学会発表

・普通のセミナーとオンラインセミナーの違いは?

 私が常に意識しているのは「元気にハキハキと話すこと」です。また日本では、放射線科医や診療放射線技師を対象にセミナーをしていましたが、今は一般の人向けなので、難しくなりすぎないように気を付けています。あとは時々スライドをスマホでチェックして、スライドの字が小さくなりすぎていないかも確認するようにしています。

 オンラインセミナーの欠点は「ウケた」という感覚がわからないことです。「ウケた」と感じられることは対面のセミナーの醍醐味ですね。

・乳がん・流産で苦しんでいる方々へのサポート時、心がけていること

 乳がんはプロフェッショナル性を持って、流産はピアサポーター+αの立場でやっています。心がけていることは、患者さんや経験者の方にヒアリングをすることです。世の中、様々なサービスがある中で、医療面の満足度が低いのは何故か?それは、実際の生の声を医療制度に反映していないからではないかと思っています。

 病院で働いていないからこそ、できることもあると思うので、「病院では行き届かないサポートを新しいカタチで」をモットーに活動を続けています。

フォックス岡本聡子先生 ウェブサイトはこちら(https://satokofox.com/

・アメリカでのお仕事について大変だったこと

 留学した当初は、英語もろくに喋れず、本当に大変でした。BI-RADSは日本でもそのまま英語で使っていたので、その点は感謝!長年の経験から、この分野ではアメリカでも知識量の引けを取らないことを確信しました。

 日本にいるときと違って、アメリカでは消極的な性格になっていることが嫌で、とりあえず堂々とすることにしました。カンファレンスやミーティングで黙っていることはよくないので、何かしら発言しようとするのですが、入るタイミングが難しいのです。その場所にいる人とオンライン参加の人が混じっていて、いつどこで発言すれば、他の人とかぶらず話せるのかは未だにわかりません(笑)。

 留学してみて、日本とアメリカのBreastImagingのカルチャーは予想以上に違うことに気付かされました。一律に揃えるのではなく、それぞれ進化していけばいいと思うところもあります。この辺りについては熱く語れますよ。

・不安や葛藤は?

 不安は行動をすることで打ち消せます。生きていく上で葛藤はごく普通のことだと思い、特に気にしていません。

・「いまの自分をつくった」と思う出来事

 今までの積み重ねですね。いつもなんだかんだ、乗り越えてきた自分への自信があるので、これからもなんとかなると信じています。

■ プライベート編

・ある一日のスケジュール

6:00起床、コーヒーを飲み、朝散歩(20分1マイル)
その日のスケジュール、To do listを確認し、何個か仕事を終わらせる
8:30家族で朝食、娘の支度
9:30自宅でコンテンツ作り・執筆
12:00旦那さんの作ってくれた昼食を食べる
13:30オフィスで仕事
17:00娘を迎えに行き、帰宅
18:00家族で夕食
19:30日本にいる方とzoom打ち合わせ
20:30娘の寝かしつけ
21:00ドラマを観る
22:00就寝

・アメリカに渡航したことでプライベートで特に変化したこと

 フレキシブルな働き方で家にいる時間が長いですし、仕事に行っていても帰る時間が早いです。また日本では土日に仕事をすることも多かったですが、土日はしっかり休んで家族と過ごす、というマインドが強いです。

・これから放射線科医をめざす方に向けて一言

 放射線科医の仕事はAIに取られる、などと言われていますが、仕事が0になることはないでしょう。実際、AIのプロジェクトに参加していますが、経験を積んだ放射線科医の目は一番優秀です。

 放射線科医はQOLを重視したハイポ(あまり忙しくないドクター)と見られる場合もありますが、そんなことはない。気にせず頑張っていきましょう!

・コロナ禍で思う事

 この大変な状況の中、病院で戦力として働いていないことを心苦しく思うこともありました。一方で私はある意味コロナに感謝しています。コロナ禍になっていなかったら、こんなにオンライン化が急速に進むこともなかったでしょうし、気軽に海外に住む人とzoomでお話しすることも、オンラインセミナーを開催することもなかったと思います。オンラインで学会に参加できることも、アメリカに住んでいる私には非常にありがたいです。

・仕事とプライベート(趣味など)との両立

 昔、文章を書くのが好きだったことを思い出して、産後ブログを書き始めましたが、「面白かった」と言ってもらえたときはニヤニヤしています。あと、昔から海外ドラマを観るのが好きなのですが、今はアメリカに実際に住んでいるからこそ共感できる部分も出てきて、文化も深掘りして観られるようになり、更に楽しんでいます。

・ワークライフバランス・これからの展望(お仕事面)

 私は自分のワークライフバランスに満足しています。フレキシブルに働くことができて、家族とも過ごせるので、非常にありがたいと思っています。しかし、働き方が労働集約型になってしまっているので、今後はそれをなんとかしていきたい、と思っています。

・お仕事をするうえでのこだわり

 身動きがとりやすいよう、大きい集団に所属するのではなく、「個」で動こうと思っています。その方が性に合っていますね。あとは職種に囚われず、横のつながりを大事にしていきたいと思っています。今後も形にとらわれず、やりたいことがあればどんどんやっていきたいです。

team WADA「留学医師のセカンドキャリア」出演

・その他、これだけは言いたいことは?

 小さな頃、勝手に想像していた生活とは全く違う生活をしていますが、人生は思う通りにならないからこそ、面白いのかもしれません。レールから外れても、自分次第でなんとかなると信じ、日々生きています。

座右の銘
日本に戻れなかったことを辛いと思うこともありましたが、せっかくできた念願の家族なので、「ここでできることを探そう!」と腹をくくりました。そんな中、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」の本を知り、すごーくしっくりきました。