働き方ノートVol.6 島田栄治先生

2022.03.07

勤務医が経営者になって分かったこと、
それは、今までの考え方が全く役に立たないということだ。

放射線科医/株式会社SEM medical solution 代表取締役
島田栄治先生

■ 仕事編

Q放射線科専門医になった動機、やりがい

 わたしが大学の放射線科に入局したのは今から27年前の平成6年です。今のようなスーパーローテートが無い時代です。卒業前に専攻科を決め、研修医になるか大学院に入学するか決めなくてはなりません。そして、医師国家試験に合格後、正式に医局に入局するといった流れになります。
 わたしが、放射線科を選んだ理由は、大きく分けて2つあります。1つ目は、臨床実習で回った際の出来事です。他科の医師がCTやMRIのフィルム(当時はPACSが無い時代です)とカルテをもって、画像所見の詳細や治療方針、手術方法などを相談に来たり、放射線科医がカンファレンスで意見を述べたりする姿を見て、純粋に「格好いいな」と思ったからです。2つ目は、放射線科は入院患者さんを持たないから当直が無いので、プライベートも充実できるなと気楽に考えていたからです。後者は後に大きな誤りであったということを痛いほど気づかされる羽目になりました。話は戻りますが、わたしは、将来、医局での勤務を考えていましたので大学院に進学しました。大学院の4年間は、学位論文のための基礎研究と読影等の医局での通常勤務も行います。学位は無事に4年間で取得することができ、いわゆる御礼奉公と言われる関連病院への出向になりました。そして、この御礼奉公がわたしの人生を大きく変えるきっかけとなったのです。
 勤務となった病院は都内の三次救急の拠点病院として知られるかなり多忙な病院です。わたしは、当時、救急領域のIVRが専門でした。そのため、オンコールなどで自宅に帰ることができるのは月10日ほどでした。わたし自身もIVRで人を助けることに生きがいを感じ、毎日が充実していました。「IVRは画像診断の延長である。決してカテ屋(技術だけ)になってはいけない」という上司の言葉を守り読影業務や画像診断の勉強に励んだ記憶があります。わたしが治療した患者さんの状態の把握や診察、主治医とのディ
スカッションなど実際に患者さんと接する機会も多く、放射線科医としては恵まれ、多くの貴重な経験を積むことができました。そして、10年の勤務を経て退職致しました。

勤務医時代のオンコール明けです。明け方までの緊急IVRを2件行った後、読影室にて仮眠中。すぐに起こされて日勤に突入。

Q在宅医療に特化した医療法人を立ち上げた動機、やりがい

 先ほどお話した病院勤務では、多くの貴重な経験を得ることができましたが、同時に自分のこれからの人生についてもじっくりと考えさせられる機会にもなりました。ちょうど30代半ばぐらいです。仕事は充実していましたが、忙しくて自宅にも帰れない、生まれたばかりの子供ともなかなか会えないような状況が続いたのです。勤務医である以上、自身で仕事をコントロールすることができません。このような状況が続けばいずれは今の仕事も苦痛になり、やりがい、生きがいもなくすだろうと感じたのです。そのためには、大学に戻るか独立するか2つの選択肢しかありません。わたしは、自分の性格を考えると自身で仕事をコントロールできる環境が最も良いと判断したため独立することにしました。
 そして、会社を立ち上げる準備を開始しました。今、自分ができることは「読影業務」しかありません。選択の余地はなく、遠隔画像診断の会社を立ち上げることになりました。現在の株式会社SEM medical solutionです。経営、財務、マーケティング等は当然ですが、医学部では教えてくれませんので、すべて独学です。通勤時間や病院でのオンコールの待機時間は全てこれらの勉強時間にあてました。そして、契約医療機関と読影医も順調に増え経営を軌道に乗せることができました。ちょうどその時期に在宅医療を受けているご家族から相談を受けたのです。自宅での訪問診療の際に何もしてもらえない。薬の処方だけで、点滴もしてもらえない。点滴や胃瘻の交換は病院に連れて行かなければならない。他にもIVHが必要な患者さんも自宅で管理してもらえないといった相談です。これらは、わたしが今まで行ってきたIVRの技術を用いれば解決できるのでは?と考え、在宅に特化した湘南なぎさ診療所(後の医療法人南星会)を始めるきっかけとなったのです。
 内科および全身管理の勉強は改めて行いましたが、実は放射線科医に向いている領域とも思います。放射線科医はあらゆる病気が頭の中に入っていますし、現在の患者さんの状況から考えて「画像ではこんな感じで描出されるだろうな」「この先はこういう進展・広がりをするな」など想像できるのです。ポータブルエコーを用いれば、状況も簡単に把握できますし、エコーガイド下での穿刺やカテーテルの挿入なども難しくはありません。他の在宅医療機関ができないことを行えますので、患者さんはあっという間に増えました。多い時で3000人の契約在宅患者さんを診察しました。医師も常勤・非常勤を含め50名ほど、職員も150名ほど在籍していました。そして、開院から14年間で3つの診療所を開設するまでに成長しました。
 ただ、1つ言えることは、医療機関の経営よりも株式会社の経営の方が難しいということです。詳細は割愛しますが、医療機関と株式会社の経営の基本的なスタンスは変わりませんが、収入源が異なります。医療機関の場合、保険収入が主となりますので収入単価は全国一律です。支払いも必ず行われます。医療を提供することが可能なエリアも限定的ですので、適切な地域を選べば、競合する医療機関もさほど多くはありません。アイデアとサービスの質、適切なマーケティングや保険点数の大幅な改定がなければ経営は安定します。先に株式会社を立ち上げて経営を経験していたことは医療機関を運営する上で大いに役立ったと思います。ちなみに日本では、株式会社が医療機関を運営することはできません。別の運営母体を作らなくてはなりません。

Qアジア圏に目を向けたきっかけ

 遠隔読影会社および在宅医療機関いずれも経営的には上手くいっていました。ただ懸念されることは、あくまでも経営的な側面ですが、高齢者人口は今後減少に向かうということです。現状は、社会保障費の増加や在宅医療機関も増加傾向にあります。既にマーケット自体が飽和しており、今後は診療単価の減少と高齢者人口の減少に伴い、減収に向かう可能性が高く、経営リスクが生じると判断しました。そのため、マーケット自体がピークアウトする前に医療法人を売却致しました。そして、高齢化率がまだ低いアジアへとマーケットを変更することにしたのです。
 アジア諸国はご存じの通り十分な医療を受けることもできない貧困層も多く、保険にさえ加入できない人が大勢います。政府の運営する診療費の安い病院は患者さんでごった返しています。プライベートホスピタルは費用が高く、保険の加入者や裕福な患者さんしか受診することができません。また、日本からの旅行者や駐在員など多くの日本人がいますが、英語を含めその国の言語も話せない方も大勢います。日本人を含め多くの方が医療で困っているのが現状です。
 わたし自身、日本で生まれ、日本で育っています。そういった環境の中で見過ごされがちな「hospitality」は日本人にとってはごく当たり前のことです。しかし、海外では当たり前ではありません。「hospitality」は日本が世界に誇れる文化の1つであるということです。形や物体として存在するものではありません。そして、説明や相手に伝えることも難しいものです。接して、体験して初めてわかるものです。
 SEMグループは「hospitality」をコンセプトとし、日本と同レベルの医療を提供できないか、日本のようなきめ細かい医療サービスを提供できないかと考えて、第1店舗目を2015年にマレーシアのクアラルンプールに開設しました。コロナ禍以前は、毎月クアラルンプールでの会議やエコーの指導、カンファレンス等に参加し、現場医師の教育や指導を行っていました。また、現在はオンラインでの指導や会議、遠隔画像診断などあらゆるツールを用いて、医療およびサービスの質の向上を図っています。現在、SEMグループは、日本では遠隔画像診断サービスを展開しています。海外では、クアラルンプールに4か所、ペナンに1か所のクリニックがあります。さらに、クアラルンプールには歯科クリニックも1か所開設しました。その他にも、患者さん向けのサービスとして、ストレッチスタジオ兼リハビリセンター2か所、高齢者向けリフォーム会社、歯科技工所も運営しています。また、2021年にはフィリピン
のマニラとアメリカのニュージャージーにもクリニックを開設いたしました。2022年初旬にはアメリカのボストンにクリニックを開設する予定です。また、今後の目標として、他のアジア諸国や南米および北米への医療機関の多店舗展開を行う予定です。さらに、クリニックなどの直接的な医療の提供のみならず、医療IT事業やテクノロジープロダクツへの投資・開発を行うことも念頭に置いています。

株式会社SEM medical solution 渋谷本社
日本では遠隔画像診断サービスを提供しています。本社では海外のすべてのブランチを統括しています。
クアラルンプールのストレッチスタジオ兼リハビリスセンター
クアラルンプールには2拠点あります。東京オリンピックでは、マレーシアバドミントンナショナルチームのオフィシャルスポンサーになりました。
クアラルンプールのひばりクリニック本院。
マレーシアでは医科・歯科合わせて6拠点を運営しています。
マレーシアでの腹部超音波ハンズオンセミナーも開催しています。

~ある一日のスケジュール~

7:00 起床、読影管理業務、メール、メッセンジャー、LINE、WhatsAppからの業務報告のチェックと指示などを行う

9:00 食事

9:30 アメリカブランチとのオンライン会議

12:30 ランチミーティング

13:30 読影管理業務、メール、メッセンジャー、LINE、WhatsAppからの業務報告のチェックと指示、システム開発等のオンライン打ち合わせ

17:30 会食

20:00 帰宅

21:00 ネット等での情報収集、読書

24:00 就寝

■ プライベート編

 日常業務は起床と同時に始まります。海外のアジア圏のブランチとの時差は1時間ほどであることから、業務報告や決済処理など日本時間とほぼ変わりません。ただ、アメリカのブランチは東部時間で13~14時間の時差となります。そのため、日本時間で真夜中や午前中にオンライン会議をおこない、業務報告を受け、速やかに経営判断や決済業務を行わなくてはなりません。SEMグループの国内事業では、遠隔画像診断サービス提供しています。わたし自身も現役の放射線科医ですので、読影業務や読影医により作成された読影レポートのチェックも行います。現在、常勤・非常勤を含め250名の放射線科専門医が在籍しています。クライアント施設も日本全国および東南アジアと多岐にわたります。経営者としての仕事そして放射線科医としての仕事もこなさなくてはなりません。ただ、これらの業務やタスクは現状を回すための仕事になります。新しいサービスや新規事業も生み出さなくてはなりません。そのためには、ランチミーティングや日常業務の合間を縫って積極的に他社との面談も行っています。
 夕食は基本的には自宅でとります。家族とのコミュニケーションが大切だと思うからです。わたしが独立したのも家族との時間を大切にしたいと思ったからです。休日も家族と一緒に過ごすことが多く、完全に仕事から離れます。
 話は戻りますが、就寝前の時間は主にネットでの情報収集や読書に費やします。新しいサービスや新規事業を生み出すためには必要な作業と考えているからです。私と同じように経営者を目指す放射線科医は、複数のタスクを同時並行でこなすといったことに慣れなくてはなりませんし、やらざるを得ないと思います。確かに「しんどいな」と思うこともありますが、何よりも「楽しい、わくわくする」そして、「医者だけど自分にもできるんだ」、と思えることが重要だと思います。逆に言えば、そのように思えないのであればやらないほうが良いと思います。また、事業を始める前には必ず経営の勉強をすることをお勧めします。何度も言いますが、医学部では経営の授業はありません。医学知識があっても経営はできません。ゼロから勉強しなくてはならないのです。

■ 島田先生に聞きたい!

Qいままでと働き方が変わったところはありますか?

 勤務医時代との比較になりますが、全く異なります。一番大きいことは、時間を自由に有効に使えるといったことです。
 当然ですが、勤務医は生活リズムが仕事を中心に決められてしまいます。仕事のシフトに合わせた生活スタイルになります。仕事の内容や運営に疑問を感じても従わなければなりません。物事を決めるスピードも遅く何かとストレスを感じることが多々ありました。しかし、雇われている以上は当然の宿命です。自身で独立して、事業を起こすとなると、時間を自由に使うことができますし、収入も異なります。つまり自身が頑張った分収入も上がります。自分のやりたい仕事も自由にできます。自分の裁量ですべて決めることができます。余談になりますが、勤務医時代は、昼食も薄暗い読影室の片隅で時間がある時に取ることがほとんどでした。日中に明るい日差しを浴びて食事をしたという記憶がほとんどありません。独立してからは、明るい日差しの中でランチを取るといったことができるようになりました。今じゃ笑い話ですけど。
 ただ、良い面ばかりではありません。独立するということは、収入の保証もありませんし、すべての責任も負わなくてはならないということです。誰も助けてはくれません。すべては自分次第です。収入の保証や安定した生活を望むのであればむしろ勤務医の方が良いのかもしれません。独立して時間の自由を得たことは、世の中を広く見渡せることができ、日本以外にも世界に目を向けることができたきっかけとなりました。そして、今まで当然と思われてきた慣習が実は、当然ではなかったということにも気づかされました。

Qお仕事をする上でのこだわり

 ビジネスも医療も同じように、相手に対して何をしてあげられるのか?ということを常に考えています。望んでいるものに対して、できる限り応えてあげたいというスタンスが重要だと思います。相手も難しいのは十分承知の上で相談してこられたりします。100%ではないにしろ、別の手段を考えて目標に少しでも近づける方法を考える、模索するという「思考」が重要なわけです。「無理です、難しいですね」とバッサリと切り捨てることは簡単ですし楽です。相手よりも自分を優先した結果、経験や新しい発見を自ら逃す結果となります。
 常に相手を考えて行動することで新たな人間関係やチャンス、新しい発見などが得られるのです。チャンスの神様には前髪しかありません。すれ違いざまにしっかりと掴まないとチャンスを逃がしてしまします。そのきっかけとして、「相手に対して何をしてあげられるのか?」というスタンスを常に意識しています。

「Leap before you look」
座右の銘などというほど改まったものはありませんが、わたしの信条として、「Leap before you look」ということです。英語のことわざで、「見る前に跳べ」という意味です。無鉄砲に何でもやるということではないので誤解しないでください。行動を起こすということです。自分の頭の中や会議で色々考えたり話し合っても行動を起こさない限り前に進みません。「それ前から考えていたことだよ」といっても先に形にされてしまえば、何の意味もありません。結果が全てです。また、事業もすべてがうまくいくわけではありません。当然、思惑通りにいかないこともあります。しかし、行動しない限り何も変わりません。たとえ失敗しても次の糧となります。