NEWS 2007.12.28


カリフォルニア留学記

Stanford University School of Medicine
Department of Radiology
植田琢也


 

 「留学なんて、なんくるないさぁ」なんてお気軽な気持ちで、ここカリフォルニアに留学してから、早いものでもう5カ月が過ぎようとしている。正直ようやく生活の基盤が固まって、なんとか仕事に本腰を入れ始めようかといったところ。「留学とはなんぞや」などと講釈をたれるほどの経験は持ち合わせていないので、皆様のお役に立つとは思えないが、留学の立ち上げのお話をさせて頂こう。

 留学にあたっては、実はそれほど具体的なビジョンがあった訳ではない。元々数学や物理などが好きで、「その趣味が生かせる研究がしたいなー」という漠然とした願望と、「なんとなく新しい夢のような世界が広がっていそう」とか、そんなミーハーな気持ちから留学を志したのだが、とても若手とは言えない39歳になって、飛びこみで留学をするのは予想していた以上の苦労であった。

 「かばんひとつ、身ひとつで未開の地にのりこむぜ!」などと、開拓者さながら意気揚々、家族4人で共に未開の地に下り立ったのだが、到着してすぐにもこの気概は崩れさり、“無人島にたどりついた漂流者”さながら情けない姿となってしまった。なんとか予約していたモーテルまでたどりついたものの、部屋が予約されておらず、「わたし へやないの こまるネ。へや ぜったい よやくしたアル。へや あるか?」なんて食い下がってみたものの、「オー、ペラペラペラペラペラペラ」などとまくしたてられるともう完全に敗北だ。分からないくせに「おーけー、あいしー」なんて白旗をあげて、結局狭い部屋に高いお金を払わされる羽目となった。そんな出来事ですら、それからの洪水のごとくに襲ってくるトラブルの数々を考えればかわいい経験であった。

 元々前任者がいる場所への留学ができれば、考える必要もないのであろうが、私の場合はコネもお金もなかったので、留学しようと決めてから留学先を探し始めた。この際に実感したのは、アメリカは日本以上にコネ社会だということ。業績はまだしも、これまでの経歴がどうかとか身分がどうかというよりも、誰の紹介かという方が重要のようだ。実際、私が方々に自分で応募の手紙を送りまくった際には、返事は1通として来なかった。こちらに来てからBossの机の上におびただしい数のメールが山のように積み上がるのを目の当たりにすると、知らない者からのメールなど見られるはずもないなと納得した次第である。

 受け入れに際しての条件は、無給の1年契約、2年目は未定というものであった(これに関しては少し打開ができそうでほっとしているのだが)。家族もいる当方がかすみを食って生きていくことはできないので、なにはともあれ収入を確保しなければならない。現在、日本の医療を取り巻く事情が年々厳しさを増しているのは、皆様が肌で感じているとおりだが、留学を取り巻く事情も年々容易ではなくなっているように感じる。国立大学の法人化に伴って、留学に対する国からの支援はほとんど期待できなくなっており、民間からの助成金も縮小の一途をたどっている。「なんとも世知辛い世の中になっているなぁ」というのが実感だ。ここカリフォルニアは、多くの人が住みたい環境という潜在的需要に加え、IT産業盛況のあおりを受けて、クレイジーなほどの物価と家賃の高さである。ありがたいことに日本放射線科専門医会より海外留学フェローシップを頂くことができたのだが、頂いた奨学金では家賃数ヵ月分にしかならないという恐るべき物価である。

 そんな中、メディカルITコンサルティンググループ(MIC)を通じてここアメリカで海外からの遠隔診断をさせて頂くこととなった。アメリカにいながら日本から収入が頂けるのは、当方のような留学者にとっては涙が出るほどありがたいことである。一方、経営側から見ても、海外の読影は時差がメリットとなり、アメリカでの夜の空き時間が日本の昼間に相当するため、日本での地域的な読影医不足などを鑑みればそれほど悪くないシステムに思える。ただアメリカではシリコンバレーの御膝元のここですらネット環境は日本に比べて非常に遅れており、いまだに“ぴーぴーがーがー”とモデムの音をさせている人がいるほどで、ネットワーク環境の整備が必須である。海外での医療行為に対する法的な取扱いについても未解決な問題があり、潜在的にどのくらいこのような需要があるのかは分からないが、今後の環境の整備に期待したい。

 さて、現在放射線科は非常に人気のある分野であるため、過酷な競争に打ち勝った者だけが放射線科の研修医となることができる。ここStanfordでも、いかにも“できそうな奴ら”が研修医として顔を揃えている。日本ではお金のことを話すことは、ある種卑しいこととされているが、ここアメリカでは、お金の集まるところに人が集まり、成果が出てお金が集まり、また人が集まりという、らせん構造が間違いなく存在しているようだ。放射線科を選んだ動機を“Money”と言ってのける研修医達のあっけらかんとしたたくましさに「やはり、ここはアメリカなのだなー」と実感させられる。そんな状況であるから、放射線科の中で研究を選択する者はあまりいないようで、事実ここStanfordの放射線科でもまわりを見渡すかぎりNeuroradiology以外で(Neurologistから流れてきた人が多いようだが)研究を志す人は、外国からの留学者以外で会ったことがない。

 研究テーマの決定に際してもアメリカらしさを感じた。こちらでは「何を研究したいのか?」という内容よりも先に、現在どのようなグラントのオファーがあり、その中で現実的に研究費の捻出が可能な研究があって、その中からやりたいことに近いものを選ぶという現実的な内容で話が進んだ。これについては教室ごとに事情が異なるのかもしれないが、いかにも現実を重んじるアメリカらしい印象を受けた。日本にいるときはこのような考え方はいささか浅ましいと感じていたのだが、このような考え方は現実をありのままに受け止めて、目の前にある問題を乗り越えながら一つひとつ進んでいこうというアメリカ人の気風から来ているのだなと思えるようになった。そのような現実的な課題の中から、一つひとつ結果を出した者のみが、自分の理想を実現する機会と力を得ることができるという、ひとつのアメリカンドリームなのかもしれない。

 振り返る余裕もなく数ヵ月が過ぎて、日本での生活ははるか昔のように思える。日本ではなんでもなかった全てのことにつまずきながら、それでも少しずつ、仕事場の同僚の話している雑談がなんとなく分かるようになり、家の回りで友人も増えて、以前は勇気が必要だった買い物もストレスなくできるようになり、「亀のような遅さながら少しずつ前進しているのかなー」、と思う。
 先日ふと空を見上げ、初めて「あー、カリフォルニアの空は本当に雲ひとつなく青いのだなー」ということに気付いた。そんな当たり前のことに気が付かないほど余裕なく過ごしてきたのだが、改めて振り返ってみれば、本当に多くの人に支えられてここまで来られたことを思い出した。支えて頂いた全ての方々に、この場をお借りして心から御礼申し上げたい。


 

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