NEWS 2007.11.19


米国東部IVR便り  第2回

米国介入放射線科医  西岡健一朗


 前回の記事で2007年までに米国で2年間IVR fellowをしたと述べたが、この期間に私が経験した症例数は約1,400例、つまり年間約700例である。 この数字を出すと日本の大学関係の医者の反応はほぼ2通りに分かれるようだ。一つは「信じられない。そんなに多いはずがない。何か基準が違うのだろう。ただ見ていた症例とか入れているのだろう」というものだ。しかしこれは、義理か因習か“枯れ木も山の賑わい”とばかりに医局に所属している先輩の名前を地方会の抄録に片っ端から入れるような曖昧なやり方とは全く違う。1人の患者に対して、基本的に「術前評価、本人(ときには家族)からのインフォームド・コンセント、手術、術後管理、そして手技と所見の記載(dictation)まで」のすべてを行った場合にそれを1例として病院のデータベースに登録される、その患者数である。ただ見ていた数ではないし、二重にカウントもしていない。
 そうすると次に、「きっと静脈ラインばかり入れていたんだろう」と言う方が現れる。しかし1,400例中PICC(peripherally inserted central catheter)placementは250例ほどで、静脈ラインばかり入れていたわけでもない。症例数の内訳はarterial 約20%、 venous 約40%、non-vascular 約40%といったところだ。ついでに言うと、米国の病院にはたいていいわゆるPICC nurse とかIV nurseなどと呼ばれる中心静脈ラインの専門チームがいて、実に上手だ。そりゃそうだろう、毎日朝から晩まで静脈ライン取りばかりやっているのだ。上手いに決まっている。そしてPICC nurseでは対処しきれなかった症例のみが回ってくる。Venous procedureといってもTIPS(transjugular intrahepatic portosystemic shunt)なども含まれていて、結構タフな症例も多いのである。
 二つ目の反応はやはり「信じられない、多すぎる。こいつきっとホラ吹いているに違いない」という、もっとストレートなものである。もちろんホラを吹いているわけではない。しかし、この反応は無理もない。例えば日本のある大学病院では年間約400例のIVR手技が行われていて、この数は大学の“もろもろの事情”により容易には増加する見込みはない。文字通り“桁が違う”数字を見たら、「多すぎる」と感じるのが人情であろう。しかし、本当に多いのかどうか、是非、以下をお読みいただきたい。
 私のいた施設には4つのIVR専用室があるが、1日に部屋あたり午前中2例から3例、午後はやはり2例から3例、つまり1部屋で1日4例から6例(平均5例)の手術が行われる。部屋が4つあるから1日に16例から24例、平均20例ということになる。つまり単純計算では、1週間(5日間)で100例、1年間(52週)で5,200例可能であり、事実、臨時手術などを加えると年間6,000例以上のIVR手技が施行されている。4部屋に対してスタッフ医が4名、フェローとレジデントで3名、看護師8名、診療放射線技師8名のローテーションである。IVR手技を年間6,000例以上施行している病院は、米国にはざらにある。それでも需要は増加傾向にあり、IVR医は相対的に不足しているのが現状だ。

 さて先日、この数の違いの話をしていたら、「数じゃない、質ですよ」「数が少なくても、日本人は器用ですから、心配要りませんよ」とわざわざ言いにきた、戯けた若い日本人IVR医がいた。負け惜しみや小ざかしい屁理屈も、ここまでくると笑止千万、開いた口が塞がらない。ろくに経験しなくても上手になれてその上維持できる技術なんぞ、この世に存在しない。
 ちなみに、他の科はどうなっているのだろうか。90年代に米国で内科residencyからCardiology fellowshipへ進んだ医学部の同級生がいるが、彼はフェローの1年間で心臓カテーテルを860例施行したと言っていた。また米国で小児心臓外科医として活躍している別の同級生がいるが、彼によると日本の心臓外科専門医になるには5年間で100例の心臓手術の術者経験(年間平均20例)が必須なのだそうだ。彼は現在米国で300例以上の小児心臓手術(心臓移植を含む)を毎年執刀している。
 日米の大学ではIVRに限らず、かくのごとく数に関して圧倒的に違う。日米両国で臨床を経験された方であればこの違いに素直に納得していただけるだろう。試算から明白な通り、米国が多いのではなくて日本が少ないのだ。では何が違うのか? この稿はその原因と対策を論じる場ではないので詳細は避けるが、結論だけを言えば、臨床システムの能率または効率の問題だと思う。確かに米国には、部屋がいくつもあるのに各科にひと部屋ずつ割り当てて、あたかも1部屋しかないかのごとく使う非能率的な縦割りの部屋割りや、朝早く出勤するわけでもないのに5時になったらちゃんと帰ってしまう人たちや、せっかくIVR手技に慣れた看護師や診療放射線技師を配置換えして今度は素人同然を持ってきて機会を“平等に”与える困ったローテーションや、1部屋に必要もないほど大勢のスタッフがいて教授先生が入ってくるとさながら大名行列のような景観を呈する手術風景など、日本でよく見られるようなものは存在しない。これらは氷山の一角であり、さらにここに、技術料が異様に低い保険点数制度や、置屋のごとき医局の因習、止めどなく続く宴会、訳の分からない会議への出席義務など複雑な要因が絡んで“もろもろの事情”を形成するが、面倒なのでひっくるめて「アメリカと日本とは違いますから」ということにしておこう。

 
息抜きには野球観戦が一番
 ところで、ここまで症例数を医者の視点から見てきたが、実はそんなことはどうでもよい。ここで最も大切なことを強調しておきたい。それは、数が多い利点は医者のためではなく、結局は治療が必要な患者のためだ、ということだ。日本でもシステムを見直して症例数を増やす努力をすべきだと私が考える理由は、ただその一点にある。
 最後に、これだけ数と質において豊富な症例を経験できたのは、私の能力や功績では全くなくて、米国の医療を築き上げてきた先人たちと、現在そのシステムを維持しているすべての方々の恩恵であることは疑う余地もない。私はどの一例も疎かにしたことはないし、症例を「こなした」という軽い気持ちを持ったこともなかった。逆説的だが、数が多いからといって急ごうとして気持ちが雑になると、かえって遅くなり、重荷になり、精神的に辛くなってくると思う。1日数例を毎日、画像所見のdiscussion、適応、pitfallなど、深く詰めることができて、幸せなトレーニング期間であった。さらに不思議なことに、年間6,000例の米国の病院よりも、一桁少ない日本の大学で働いていたときのほうがずっと忙しく感じた。数が多ければそれだけ忙しくなる道理だが、医者が医者としての本分を全うする時間が長ければ、医師も患者もそれだけ満足度は高いものなのである。

 

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