飯舘村のこれまでと“までいな”復興計画

category:要旨
2012.12.19

飯舘村のこれまでと“までいな”復興計画
福島県飯舘村長
菅野典雄

 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、飯舘村は計画的避難区域に指定され、全村避難を強いられた。福島第一原発から離れた飯舘村では、ゴーストタウンとならないように、生活の変化によるリスクと放射線によるリスクのバランスを考えるといった、様々な視点からの対応を考えてきた。放射線リスクは黒か白かだけで判断できるものではないので、グレーゾーンまでをも見つめた復興計画が必要となる。しかし地震、津波、原発事故といった未曾有の問題に直面している現在、だれもベストな答えを出すことはできないため、ベターな答えが必要となってくる。災害時の住民避難においてベターな対応をするために、リスクコミュニケーションが必要になってくるということを、全村避難を経験している三宅島や山古志村から学んだ。さらに全村避難をすると帰村率が65〜70%であるということを知り、村に戻らない人も含めて村民一人一人の復興に向き合わなければならないと考えた。しかし放射線被害は人々の心を分断してしまうという問題がある。村民の心のケアのためにも、避難基準の年間被ばく線量に幅を持たせたり、低線量被ばくについて広く知ってもらうことが必要である。飯舘村では復興のために2年、5年、10年といった区切りを設けて、復興への目標を持つことで村民に希望を持ってもらうと同時に、国への強いメッセージとしている。新たに設定された3つの避難区域は理にかなったものではないが、復興へむけて活用していくしかない。村民の健康に関してはホールボディカウンターを購入し、提携する病院で内部被ばく線量の検査を村独自に行えるようにした。飯舘村復興へ向けて、今後も物事を幅広く柔軟に考え、よりベターな答えを求めていきたい。

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